中京競馬
旅行記の方で書いたようにあまりいい印象はなくどちらかといえば足が遠のいていましたが
久しぶりに行きましたので少々。
いつものように新名古屋駅で。最近はパノラマカーも急行運用に入ることは少なく期待してい
なかったのですが聞き覚えのあるミュージックホーンが。「おっ、これやこれや」と競馬ファンか らも声が上がる、それがパノラマカーです。誕生から30年が過ぎ内装は陳腐化していますが 真新しさとインパクトはいつまでたっても衰えません。
中京競馬場前駅は大きく変わっていました。土手を盛ったようなホームに小さな改札口という
競馬場の最寄り駅とは思えないような駅から改札は地下化されホームも巾が大きく拡幅されて います。そして開催日は急行だけでなく一部の特急も臨時停車するようになっています。特急 には指定席がありますが普段停まらないこの駅で指定券(ミューチケットという)が買えるのか どうかは知りません。競馬終了直後など指定席の通路まで一杯になるのではないでしょうか。
駅は大きく変わっていましたが駅前の「競馬場駅前商店街」は昔のままでした。ただしJRA開
催ということで警備員も多く以前いたたちの悪い予想売りがたたずんでいることはありません。 丘を登り競馬場に向かいます。この道は車道を含めて競馬場の施設会社の私道だそうで露 店の出店禁止等の掲示がしてあります。予想売りを排除するのにも役立っていそうです。
1コーナー側から入る構造に変化はありませんが入場ゲートは歩道橋を越えて2階からとな
っています。歩道橋の上から桶狭間の方を見るとマンションなどが立ち並び以前より大幅にひ らけています。単なる谷底の住宅地という趣になってしまい昔と違って織田信長の気分にはな れませんでした。競馬場の周辺道路はすべて車で埋まっており近隣からクレームが出ないも のか気になります。車社会の名古屋では当たり前の光景なのか。
入場ゲートを望む 歩道橋から桶狭間方向
入場ゲートからスタンドまで少々距離がありましたが現在はツインハットという帽子を二つ載
せたような屋根のある(そのままやん)ガラス張りのスタンドが出来ています。ゴール板を過ぎ た位置にあるのであまり面白くはないでしょう。内部は関係者用のスペースが占めているようで ハイヤーがジカ付けしています。そういえば騎手は前日から栗東や美浦のトレーニングセンタ ー内で拘束され外部との接触を断たれますが朝各トレセンから競馬場に向かう際に乗車する タクシーの運転手だけは接触することが出来ます。よほど信用ある会社の指定したドライバー を使っているのか定かではありませんが。
新たなスタンドは出来たものの少々小ぶりです。もっとも仁川も1991年頃の改修前はそう
大差ありませんでした。詳しいデータは知りませんが中京に限っていえば競馬ブームの頃と入 場者はそう大差無いようにさえ思えます。名古屋の向上と大阪の没落がこんな所にも現われ ているような気がします。このままだと中京と淀が西のメイン開催で仁川がウラ開催になってし まうような感じも。現在の中京ではウラ開催という言葉を口にすること自体失礼な状況になって います。「ウラならすいているだろう」と私も思っていただけに大きく恥じなければなりません。そ れだけに施設の拡充を望みたい所です。
スタンドの4コーナー側(といってもまだ直線の真ん中あたり)には廃車になった名鉄のパノラ
マカーが3両保存してあります。きちんと屋根もつき内部にも入れ(真ん中の車両は椅子を取り 払い売店になっている)ると恵まれた保存状況です。2階の運転席に入れないのだけが残念で すが。(一度どういう環境なのか見てみたい。もしかしたら足を投げ出さないと座れないと か・・・)
あの名車も廃車が進みどこかで保存してくれないか、中京競馬場あたりがいいんじゃない
か、「名鉄杯」という特別レースではファンファーレがミュージックホーンになるなど関係が深い だけにあり得るかもと思っていましたが本当にしてくれ、JRA(施設会社かもしれないが)には 大いに感謝です。
最終レースが終わり通常の競馬場では駅に近い出口に向かって人が流れますがここだけは
駐車場側の出口にも同様に流れています。それだけ車で来場する人が多くまたスタンドから外 を見ると大きな駐車場が広がっています。バイパスがあるわけでもなく帰りの渋滞はどうなって いるのか、考えると恐ろしいのですがそれでも車が当たり前のようです。名古屋や三河、豊橋 ナンバーのほかにも三重、岐阜と近県の車も目立つだけに少々気になります。
そういえばとある調教師(栗東)が夏開催の中京と新潟なら新潟の方が渋滞もなくずっと馬運
車が走っているから馬に負担がかからないというのを聞いたことがあります。中京で好走する のは渋滞を苦にしない馬なのでしょう。
地形(斜面)を利用したパドック
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